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任地引き上げ
 8日の朝5時半に同僚のIsayaから起きているかと電話がかかってきた。最後の晩は何か眠れず5時前には目が覚めていた。Isayaには明日の6時に任地を発つと伝えてあったので、早朝にも関わらず見送りに来てくれたんだ。朝6時には隣人の同僚のRichardにも挨拶をして、県庁の車を待った。朝6時10分過ぎに車が中村隊員を乗せて学校へ来てくれた。2年以上お世話になった警備員のBabuとIsayaと最後の挨拶を交わした。別れ際にBabuに強く抱かれたときは、思わず泣きそうになってしまった。泣かなかったけれど・・・。車に乗り込んだたら早々と出発してしまった。本当は数学の同僚のRashidにも挨拶したかったのだが・・・。
 
 その後は中村隊員の上司であるDMO(District Medical Officer)を乗せるために再び病院へ向かった。彼の出張と俺たちの引き上げが丁度重なったので、運良く県庁の車でムトワラまで行けることになったんだ。病院についてから出発までまだ時間がかかりそうだったので、もう一度家に戻るといってRashidに会いに向かった。Rashidもこっちに向かってきてくれ、家に向かう途中で合流できた。そこでお別れの挨拶をした。Rashidとお別れの挨拶をできてもうネワラに思い残すことは無かった。

 7時過ぎにネワラを出てからは快調にひた走り、10時過ぎにムトワラに着いた。ムトワラに着いてからは、佐藤フィールド調整員の家に直行しそこに引き上げの荷物を置かせてもらってから中村隊員と海へ向かった。既に何人もの隊員が海で待っていてくれ、すぐ合流しムトワラの海へダウ船で繰り出した。真っ青な海でシュノーケリングをして浜でくつろいで、最後のムトワラの海を思いっきり満喫したよ。その後は佐藤さんの家にお邪魔して皆で夕食をご馳走になった。新鮮な魚や野菜が山ほどあり本当に美味かった。この晩は佐藤さん宅に俺と中村隊員は泊めてもらいぐっすり眠った。

 そして今朝は早起きした。飛行機のレポーティングタイムが10時でその前に任地の引き上げ荷物を1箱日本へ送りたかったんだ。発送手続きが面倒なんだけれど、佐藤さんが予め全部把握してサポートしてくれたおかげでスムースに送ることができた。本当に彼女に感謝した。それから飛行機も定刻どおりに飛び順調にダルエスサラームに着いた。ダルエスに着いたらJICA事務所へ直行しそこで帰国報告会を行った。この報告会でネワラの派遣中止の件や後任者キャンセルの件について色々と話せて事務所側の考えも聞けて少しはすっきりした。

 報告会の後は荷物発送用のダンボールを調達しに中村隊員とダルエスの街を歩いてまわってダンボールも無事に手に入れてドミに戻った。夕食はドミに居た隊員4名で韓国料理を食べに行って美味い肉を堪能した。こんな感じで慌しかったけれどとりあえず引き上げひと段落だ。中村隊員と一緒に引き上げられて何もかも順調にいき本当に良かったし、心強かったし、何より慌しかったせいもあるけれど任地引き上げの寂しさがほとんど無かった。明日はおみやげ物の調達をしにダルエス市内を巡り、その後はパッキングまでしようと思う。

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綺麗に片付いた2年間生活してきた部屋

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最後の見送りに来てくれた警備員のBabuと同僚のIsaya

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ムトワラまで乗せてもらった県庁の車

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出発時の早朝の町並み

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ダウ船でムトワラの海へ
この海で最後にスノーケリングを楽しんだ。本当に綺麗な海だった。

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浜辺で一休み

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浜辺で

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ネワラの隊員で

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一緒に延長した唯一の同期の服部隊員と

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佐藤フィールド調整員宅で

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最後のムトワラ空港



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ネワラ最後の日
 朝ゆっくりと起きてから、最後の家の片づけを行った。途中から生徒も来て片づけを手伝ってくれた。家の中の本や備品などはほぼ全て生徒や同僚にあげたんだけど、パッキングしてみると結構な荷物になった。片付けの最中も生徒が何人もお別れの挨拶に来てくれた。これは嬉しかったし、生徒とのお別れを惜しんだ。その後昼過ぎには、中村隊員と2人で最後に任期中一番通ったレストランOMAXで食事をして、市場を歩いてお世話になった人々に挨拶をしてまわった。みんな相変わらず陽気だったので、俺たちも別に今日が最後の日だという気がしなかったよ。しんみりするよりはこれでいいのかもしれないな。

 その後はいったん別れて、夕方永田フィールド調整員宅で集まることにした。永田さんの家ではPeptangという俺が任期中使い続けた甘いトマトソースでチキンライスとパスタを作り3人で食べた。本当は林隊員も居れば良かったのだが、ムトワラでタンザニア教育研究会の定例会に参加するため木曜に任地を離れてムトワラへ行ってしまっていたんだ。任地での最後の夕食も3人で楽しんだ。そして明日は出発が早いので早めに解散して家に戻った。帰り道はもう当分見れないんだろうなと思いながら、満点の星空を目に焼き付けた。家に付いてからは真っ暗な中、ライトを照らしながら最終チェックをしていると1枚のメモ用紙ができてきた。Sembe 700tshs、Daga 500tshs、Chumbi 300tshs・・・と書いてあった。2年前の5月に初めて任地に赴任したとき、警備員のBabuに明日から必要なものリストを聞き自分で書いたメモだ。この当時はスワヒリ語もろくに分からなく、俺はこんなことしてたんだなぁと何とも言えない気持ちでいっぱいになった。ともあれ今晩が最後のネワラの夜だ。明日は朝一に県庁の車が迎えに来てくれる。寝坊はまぁ心配ないか! 

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別れの挨拶に来てくれたFormIVの生徒達

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家の片付けを手伝ってくれたFormIIIの生徒達

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別れの挨拶に来てくれたFormIIIの生徒達

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通い続けたレストランOmaxのスタッフIssaと

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ネワラで人気者のRashidyと

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色々と良くかまってくれたRamaと

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日本語で野菜を売ってくれる市場の人と

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中村隊員ネワラ市場で最後の買い物

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市場の人たちと

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俺は一度も利用しなかった干し魚売り場で

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よく買った米売り場の人と

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紅茶売りのママたちと

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よく買ったオレンジ売り場の人たちと

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毎日通った市場の風景

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よく買い物したインド人夫婦の店で

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同じくインド人の老夫婦の店で

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2年間お世話になったレストランOmaxの店長と

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最後のOmax料理

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Peace coopのジェルーシャと

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最後に永田フィールド調整員宅で皆で食べたPeptang料理

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最後に出てきた赴任当初の買い物メモ・・・




クワヘリ in Hospital
 午後一にネワラ県庁に中村隊員と永田フィールド調整員と活動終了の挨拶に行き、夕方からは中村隊員の配属先である病院のクワヘリパーティーに俺も参加させてもらった。何十人もの病院のスタッフが参加して、スピーチありダンスありで大いに盛り上がり、皆中村隊員との別れを惜しんでいた。永田さんも中村隊員も本当に楽しんでいたし、中村隊員はスタッフ皆から信頼されて好かれていたんだなぁと改めて思った。思いがけず俺も参加できて楽しめたし、2人が皆から愛されていたのが垣間見れて何か嬉しかった。

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DMO(District Medical Officer)と永田ファールド調整員に挟まれて
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永田さんからのスピーチ

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主賓のスピーチ

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皆で楽しくダンス

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贈り物のカンガ(布)をもらって嬉しそうな中村隊員

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お世話になったスタッフ達と

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皆で
最後のカントリーロッジ
 今日はネワラの皆でカントリロッジで夕食をとった。誰かゲストが来たときはよく来たカントリーロッジだったが、ネワラのメンバーだけで来たのはいつ依頼だろう・・・?覚えていないくらい久々だ。ここの料理は本当に美味いので、たまにここに来るのは毎回楽しみだったし俺たち隊員にとって良いリフレッシュになった。そんなカントリーロッジも俺と中村隊員は今日で最後だ。そう考えると寂しいが最後も相変わらず美味かったし、夕食も楽しかった。帰り道は電気の無い中、肌寒さを少し感じながら満点の星を眺めながら皆で歩いて帰った。これも本当に良かった。日本では絶対に見れない星の数だ。

 その後俺は帰り際に永田フィールド調整員の家に夜遅いにも関わらずお邪魔しお茶をご馳走になった。そのときネワラへの隊員派遣の中止が事務所で決まりそうになったとき、永田さんとムトワラの佐藤フィールド調整員が、どれだけここの人々が隊員を必要にしているか必要性を訴えて事務所へ抵抗してくれたみたいでそれでも決定を変えられなくて申し訳なかったと永田さんが謝ってくれた。全然永田さんのせいではないが、それを聞いて俺は本当に嬉しかったし、2人が最後まで抵抗してくれたというだけでもう十分だった。最後にこんな話を聞けて本当に感激したし救われた気がした。

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カントリーロッジの看板

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ずっと赴任したときから美味かったカントリーロッジの食事

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皆で

ジェネレーター
 永田フィールド調整員の家にはジェネレーターがある。少し前までは調子が悪く中々使えなかったのだが、最近は調子が良く問題無く使えるので連日お邪魔して携帯、デジカメの充電を始めラップトップの使用で電気を使わせてもらっている。本当に永田さんの家にジェネレーターがあって無事に動いて助かった。というのは2週間程前から、過去最悪の計画停電をTANESCO(Tanzania Electric Supply Company)が始めたんだ。電気が戻ってくるのは52時間に1回4時間だけだ。この4時間が朝6時から10時までとかだと、まるで4日以上電気が無いように思えたりする。実際戻ってくるはずの貴重な4時間も戻って来ず106時間電気が無かったときもあった。

 普段なら別に構わないんだけれど、引き上げの間近、最終報告書を作成して3日までに事務所に提出しなくてはならなかったし、先月30日に行った期末テストの採点と結果表の作成、成績表の作成なども行わなくてはならなくて、どうしても電気が必要だったんだ。TANESCOがムカつき過ぎる!こんな状況の中、連日0時過ぎまで居座るのに毎日永田さんは電気が必要だったらどうぞと毎日声をかけてくれた。とても有難かったし本当に助かった。そんなわけで特にここ1週間はタンザニアに赴任して以来かつてないほど忙しかったけれど、無事に最終報告書、期末テスト採点と結果表、前期の成績表の作成を先ほど無事に終えることができた。ほっとした。永田さんのおかげだ。永田さんにとても感謝した。明日からは本格的に引き上げに向けて家を片付けるかな。
無線機の移動
 3代に渡って家に設置されていた、無線機を永田フィールド調整員に手伝ってもらいながら今朝取り外し、林隊員の家へ運んだ。そして早速林隊員の家で設置を開始した。設置で一番面倒なのはアンテナを立てるときだ。順調にアンテナの設置も進んでいたところ、気を緩めてしまい最後の1間接を伸ばし切ってしまい、十数メートルもあるだろうアンテナを俺一人では支えきれなく倒してしまった。この倒れる瞬間はやばいのは分かっているけれど周りは見ている以外何もできなかった。永田さんの悲鳴と共に林隊員ごめんと思いながらアンテナは倒れた。皆屋根か家の塀かソーラーパネルか何かが壊れることを覚悟した。でも幸い電線が相当延びたが、それがクッションになり信じられないが無傷で済んだ。助かったら何かそれまでのやばい状況とのギャップが面白くて笑いが止まらなかったよ。ともあれ無線機の設置は無事に済んだ。俺の家の庭はアンテナが無くなりとても広くなった。帰国準備は着々と進んでいるな・・・。

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林隊員の家でアンテナの設置
このとき最後の間接を引っこ抜いてしまいアンテナを倒してしまった。幸い被害は無かった・・・。

ネワラクワヘリ
 今日は永田フィールド調整員と林隊員とで俺と中村隊員のクワヘリパーティー企画してくれた。夕方永田さんの家に集まり準備してくれたうどんや天ぷら、散らし寿司などを沢山ご馳走になった。そして餞別品をお別れのメッセージカードと共にもらった。まだ特に家は片付けていないので、実感は沸かないが、2年以上生活してきたこの地を離れる日が近づいているんだなぁと少し思った。こじんまりとしたクワヘリパーティーだったけど、とても楽しかったし企画してくれた2人に感謝した。

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ネワラの皆が作ってくれたご馳走

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林隊員が描いてくれた絵

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皆で
ネワラ県立病院訪問
 先週の月曜に引き続き中村隊員の勤務地であるネワラ県立病院を朝一で訪れた。彼女の活動を見学して写真を撮るためだ。幸い先週で学校のweekly testが終わったので今日はその空き時間を使って朝早く学校を出てこれた。授業が始まる前には戻らないと行けないけれど・・・。

 彼女は主に妊婦の診察のお手伝いをしていた。それと平行に永田フィールド調整員と共に病院内に5Sを浸透させようと頑張っていた。看護師隊員は治療行為は禁止されているらしい。現地スタッフの手際の悪さに自分でできたら・・・・と思ったことも数知れないだろう。妊娠の進行状況を表した分かりやすいポスターを作成したり、妊婦のお腹を診察し丁寧に進行状況を説明してあげたり、見習い看護師に指示を出してあげたり、できる範囲で一所懸命活動していた。5Sの方も部署によって浸透状況に差はあるが、薬品棚にラベリングしてあったり、書類は分類されてファイリングされていたりとこちらも徐々に浸透されているように見えた。スワヒリ語もとても流暢でスタッフともいい関係を保ち、皆から信頼されており本当に凄いなと思った。任地を離れる前に彼女の活動を垣間見れて本当に良かったし何か励みになった。

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血圧を測定する中村隊員

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患者さんにアドバイスしてあげる中村隊員

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永田フィールド調整員と打ち合わせ

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病院のゲートで