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帰国
 永田フィールド調整員を始め、タンザニア南東部でお世話になった隊員に見送られながらタンザニア時間の14日の14時にタンザニアを発った。カタール航空でドーハ経由。この飛行機は運良く窓側だったので、最後の離陸からダルエスサラームが見えなくなるまで、今度ここを訪れる日はいつだろう・・・と思いながらずっと外を眺め続けた。前日の晩もほとんど寝なかったので、ダルエスサラームが見えなくなってからはドーハまで約6時間音楽聴きながら寝続けた。そうドーハまではほぼ北上し続けただけなので、タンザニアとの時差は無かった。ドーハ空港は土産売り場から仮眠室からお祈り部屋からトイレからどれもとても立派で、歩いてて退屈しなかった。でも眠かったので一通り見てからは、仮眠室で横になりながら乗換えを待った。

 待つこと約4時間日が変わった0時過ぎに搭乗手続きが始まった。関空行きの飛行機なだけあって、ドーハにも乗り換え待ちしている日本人が何人も居た。飛行機乗ってからは添乗員の中にも日本人が居て、日本語も飛び交っており何か拍子抜けっていう感じだった・・・。でもこの飛行機の機内食は洋食か日本食を選べて、迷わず日本食を選んだらなんと、うなぎとすしとそばが出てきた。日本に着いてから食べようと思っていたものばかりだったけれど、ここで食べてしまった。美味すぎたよ。その後はこの飛行機でも寝続け、飛行機に乗ること約10時間、日本時間の夕方5時に関空についた。帰ってきたなぁという実感は特に無くここでも空港内をあちこち歩いて周った。2年3ヶ月ぶりの日本はもっと感激するものと思っていたけれど、意外と冷静だった。そしてここでもまた乗り換えまちをして、夜の9時前に羽田空港に着いた。ここで友達がお出迎えしてくれた。とても嬉しかったけれど久々すぎて、あまり話せなかったなぁ・・・。でも遠いところからわざわざ来てくれてその友達に感謝した。そして飲み屋に入り軽く飲みながら久々の再会を楽しんだ。だから帰ってきて最初に食べた料理は、豆腐とサラダと焼きそばになった。どれもとても美味かった!夕食を終えてから友達と別れ電車に乗り実家に帰ってきた。電車も日曜の夜だったので空いていて楽だった。駅には親が迎えに来てくれ夜0時半過ぎに帰宅した。家や付近は特に2年前と変わっていなかった。部屋も綺麗にしておいてくれて快適に眠れた。

 16日からは早速帰国研修。朝8時過ぎに家を出た。朝から眠かったけれど通勤者にもまれながら電車に乗るのも昨晩は暗くてよく見れなかったけれど、駅近辺の様子もとても新鮮だった。広尾についてからは、帰国隊員俺含めて3人だったけれど、帰国研修が始まった。最初は1人だけかと思っていたけれど、他にも帰国隊員が居てくれて昼食等も一緒に行けて有難かった。話ばかり眠すぎたけれど眠気と戦いながら4時の終了まで研修を耐えたよ。

 そして今日は健康診断と帰国報告会。どれも昨日に比べれば時間も短く眠気も無く楽だった。そしてまだ県や市への挨拶、住民票の転入、三菱UFJ銀行NY支店の解約、荷物の片付け、買い物などやらなければならないことはまだあるが、とりあえずJICAの組織とは今日でお別れだ。出国から今日までずっと同じ格好だったのでさすがにそろそろ変えようかと思い、靴と、ズボンと、かばんと携帯と買い物してまわった。高いなぁ・・・と思いながらも日本だししょうがないかと思いながら割り切った。買い物自体も新鮮で楽しかったんだけどね。日本は明るくて、移動が楽で、料理が豊富で、定員の対応が丁寧で、何もかも清潔で、言うこと無いといえば言うこと無いけれどタンザニアのような人間臭さが無く全部オートマティックに見えて何故か虚しかった。料理もいっぱいありすぎて、帰国したらあれ食べてこれ食べてと思っていたけれど、そんな気も薄れて見るだけで満足してしまったよ。俺が明らかに冷めているよなぁ・・・これが逆カルチャーショックというヤツなんだろうか・・・。帰国はもっと楽しいものだと思ったんだけれどな・・・。まだ帰国して2日目だし、まぁ直ぐ慣れるか。復職する前に西日本に旅行でもしようと思う!
 
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JICAオフィス裏で三木隊員とソーダ

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ドミトリーの中①

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ドミトリーの中②

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ドミトリーを出発

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空港チェックイン直前に見送りに来てくれた皆と

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見送りに来てくれた隊員達
一人で出国だと思っていたのでこれは本当に嬉しかった。

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ダルエスサラーム⇒ドーハのカタール航空

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遠くなっていくタンザニア

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いつの間にか陽も暮れた

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飛行機から覗いたドーハ市街
明かりが多い。

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ドーハ空港

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関空行きの案内0時45分

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ドーハ⇒関空の飛行機
でかさにびびった。

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関空到着
違和感が消えなかった・・・。

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羽田空港付近
やっぱり明かりが多い・・・。

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帰国研修が行われた広尾に併設してあるJICA地球広場
生憎の休館日だった。

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地球広場の掲示板の前で
佐藤フィールド調整員作の地球モデルがこんな所に飾ってあって驚いた。
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出国前日
 今日が出国前日だ。明日の昼の2時にタンザニアを出国する予定だ。まだ実感が無いのが正直なところだ。2年3ヶ月ぶりに日本に降り立ったとき、どう思うんだろう・・・?それを想像するだけで楽しくなるが、こんなにも長い間タンザニア居たので、好きな人達や好きな場所も沢山出来てここを離れたくないというのが今の本音だ。

 ここでの生活や活動の経験がどれだけ今後役に立つかは分からない。・・・まぁそれは今後の自分次第か。電気が無くても水不足に苦しんでもねずみの足音に夜中起こされても生徒に腹を立てても、どれも貴重な体験だったし本当に充実した日々だった。こんなに充実した日々を遅れたのはいつ以来だろう・・・。任地に人々に本当に恵まれて、最高の2年3ヶ月だった。もう目を瞑って振り返るだけで泣けてきそうだ・・・。だから今振り返るのは止めようかな。今度タンザニアを訪れるのが10年後になるか20年後になるか分からないが、一生のうちで必ずもう一度タンザニアに足を踏み入れてみたい。そして南東部はもちろん、キリマンジャロやセレンゲティーなどをまたあちこち回ってみようと思う。

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ビールタワー美味かった

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建設中のビル
ダルエスサラームもどんどん近代化している。

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郵便局通り
ここはとても人が多い。

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三木隊員と食べた最後のウガリ
結局任期中このウガリはここの主食にも関わらず数えるほどしか食べなかった。赴任当初よりは美味しく感じるようになった。

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最高の中華料理四川
ここの中華は本当に美味かった。上京する度に何度も食べに来た。

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四川で

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最高級キリマンジャロホテルの屋上で

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上京時はよく通ったバー Sweet easy

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最後の最後にこのバーで大金をすられた・・・ショックだった・・・。


任地引き上げ
 8日の朝5時半に同僚のIsayaから起きているかと電話がかかってきた。最後の晩は何か眠れず5時前には目が覚めていた。Isayaには明日の6時に任地を発つと伝えてあったので、早朝にも関わらず見送りに来てくれたんだ。朝6時には隣人の同僚のRichardにも挨拶をして、県庁の車を待った。朝6時10分過ぎに車が中村隊員を乗せて学校へ来てくれた。2年以上お世話になった警備員のBabuとIsayaと最後の挨拶を交わした。別れ際にBabuに強く抱かれたときは、思わず泣きそうになってしまった。泣かなかったけれど・・・。車に乗り込んだたら早々と出発してしまった。本当は数学の同僚のRashidにも挨拶したかったのだが・・・。
 
 その後は中村隊員の上司であるDMO(District Medical Officer)を乗せるために再び病院へ向かった。彼の出張と俺たちの引き上げが丁度重なったので、運良く県庁の車でムトワラまで行けることになったんだ。病院についてから出発までまだ時間がかかりそうだったので、もう一度家に戻るといってRashidに会いに向かった。Rashidもこっちに向かってきてくれ、家に向かう途中で合流できた。そこでお別れの挨拶をした。Rashidとお別れの挨拶をできてもうネワラに思い残すことは無かった。

 7時過ぎにネワラを出てからは快調にひた走り、10時過ぎにムトワラに着いた。ムトワラに着いてからは、佐藤フィールド調整員の家に直行しそこに引き上げの荷物を置かせてもらってから中村隊員と海へ向かった。既に何人もの隊員が海で待っていてくれ、すぐ合流しムトワラの海へダウ船で繰り出した。真っ青な海でシュノーケリングをして浜でくつろいで、最後のムトワラの海を思いっきり満喫したよ。その後は佐藤さんの家にお邪魔して皆で夕食をご馳走になった。新鮮な魚や野菜が山ほどあり本当に美味かった。この晩は佐藤さん宅に俺と中村隊員は泊めてもらいぐっすり眠った。

 そして今朝は早起きした。飛行機のレポーティングタイムが10時でその前に任地の引き上げ荷物を1箱日本へ送りたかったんだ。発送手続きが面倒なんだけれど、佐藤さんが予め全部把握してサポートしてくれたおかげでスムースに送ることができた。本当に彼女に感謝した。それから飛行機も定刻どおりに飛び順調にダルエスサラームに着いた。ダルエスに着いたらJICA事務所へ直行しそこで帰国報告会を行った。この報告会でネワラの派遣中止の件や後任者キャンセルの件について色々と話せて事務所側の考えも聞けて少しはすっきりした。

 報告会の後は荷物発送用のダンボールを調達しに中村隊員とダルエスの街を歩いてまわってダンボールも無事に手に入れてドミに戻った。夕食はドミに居た隊員4名で韓国料理を食べに行って美味い肉を堪能した。こんな感じで慌しかったけれどとりあえず引き上げひと段落だ。中村隊員と一緒に引き上げられて何もかも順調にいき本当に良かったし、心強かったし、何より慌しかったせいもあるけれど任地引き上げの寂しさがほとんど無かった。明日はおみやげ物の調達をしにダルエス市内を巡り、その後はパッキングまでしようと思う。

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綺麗に片付いた2年間生活してきた部屋

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最後の見送りに来てくれた警備員のBabuと同僚のIsaya

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ムトワラまで乗せてもらった県庁の車

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出発時の早朝の町並み

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ダウ船でムトワラの海へ
この海で最後にスノーケリングを楽しんだ。本当に綺麗な海だった。

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浜辺で一休み

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浜辺で

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ネワラの隊員で

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一緒に延長した唯一の同期の服部隊員と

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佐藤フィールド調整員宅で

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最後のムトワラ空港



ネワラ最後の日
 朝ゆっくりと起きてから、最後の家の片づけを行った。途中から生徒も来て片づけを手伝ってくれた。家の中の本や備品などはほぼ全て生徒や同僚にあげたんだけど、パッキングしてみると結構な荷物になった。片付けの最中も生徒が何人もお別れの挨拶に来てくれた。これは嬉しかったし、生徒とのお別れを惜しんだ。その後昼過ぎには、中村隊員と2人で最後に任期中一番通ったレストランOMAXで食事をして、市場を歩いてお世話になった人々に挨拶をしてまわった。みんな相変わらず陽気だったので、俺たちも別に今日が最後の日だという気がしなかったよ。しんみりするよりはこれでいいのかもしれないな。

 その後はいったん別れて、夕方永田フィールド調整員宅で集まることにした。永田さんの家ではPeptangという俺が任期中使い続けた甘いトマトソースでチキンライスとパスタを作り3人で食べた。本当は林隊員も居れば良かったのだが、ムトワラでタンザニア教育研究会の定例会に参加するため木曜に任地を離れてムトワラへ行ってしまっていたんだ。任地での最後の夕食も3人で楽しんだ。そして明日は出発が早いので早めに解散して家に戻った。帰り道はもう当分見れないんだろうなと思いながら、満点の星空を目に焼き付けた。家に付いてからは真っ暗な中、ライトを照らしながら最終チェックをしていると1枚のメモ用紙ができてきた。Sembe 700tshs、Daga 500tshs、Chumbi 300tshs・・・と書いてあった。2年前の5月に初めて任地に赴任したとき、警備員のBabuに明日から必要なものリストを聞き自分で書いたメモだ。この当時はスワヒリ語もろくに分からなく、俺はこんなことしてたんだなぁと何とも言えない気持ちでいっぱいになった。ともあれ今晩が最後のネワラの夜だ。明日は朝一に県庁の車が迎えに来てくれる。寝坊はまぁ心配ないか! 

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別れの挨拶に来てくれたFormIVの生徒達

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家の片付けを手伝ってくれたFormIIIの生徒達

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別れの挨拶に来てくれたFormIIIの生徒達

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通い続けたレストランOmaxのスタッフIssaと

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ネワラで人気者のRashidyと

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色々と良くかまってくれたRamaと

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日本語で野菜を売ってくれる市場の人と

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中村隊員ネワラ市場で最後の買い物

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市場の人たちと

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俺は一度も利用しなかった干し魚売り場で

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よく買った米売り場の人と

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紅茶売りのママたちと

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よく買ったオレンジ売り場の人たちと

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毎日通った市場の風景

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よく買い物したインド人夫婦の店で

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同じくインド人の老夫婦の店で

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2年間お世話になったレストランOmaxの店長と

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最後のOmax料理

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Peace coopのジェルーシャと

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最後に永田フィールド調整員宅で皆で食べたPeptang料理

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最後に出てきた赴任当初の買い物メモ・・・




クワヘリ in Hospital
 午後一にネワラ県庁に中村隊員と永田フィールド調整員と活動終了の挨拶に行き、夕方からは中村隊員の配属先である病院のクワヘリパーティーに俺も参加させてもらった。何十人もの病院のスタッフが参加して、スピーチありダンスありで大いに盛り上がり、皆中村隊員との別れを惜しんでいた。永田さんも中村隊員も本当に楽しんでいたし、中村隊員はスタッフ皆から信頼されて好かれていたんだなぁと改めて思った。思いがけず俺も参加できて楽しめたし、2人が皆から愛されていたのが垣間見れて何か嬉しかった。

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DMO(District Medical Officer)と永田ファールド調整員に挟まれて
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永田さんからのスピーチ

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主賓のスピーチ

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皆で楽しくダンス

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贈り物のカンガ(布)をもらって嬉しそうな中村隊員

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お世話になったスタッフ達と

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皆で
お別れ会
 学校で夕方俺と4月に別の学校へ校長として招かれたベテラン教師2人のお別れ会と先月赴任してきた新教員の歓迎会が併せて行われた。このお別れ会に中村隊員も来てくれ、皆で沢山飲み校長や教頭、同僚からお別れの言葉をもらい後は皆で踊って遅くまで騒いだ。餞別品も沢山頂き、皆に感謝した。2年間ここで活動してきたけれど、学校の教員は2年前とはガラリと変わり、俺も古株から数えて3番目になっていた。だからここでは俺もベテランだった。

 俺が見る限りこの学校は教員減が続く悪環境の中でも、学校の機能を果たし教員も真面目に授業を行っているタンザニア南部では決して多くない良い学校の一つだと思う。時間割を守らなかったり貸した物を返さない同僚に怒ることもあったけれど、俺の不足な言葉をサポートしてくれたり、問題のある生徒には俺が何もしなくても体罰を与えてくれたり、基本的に授業のやる気は皆とてもありメンバーは最初とは入れ替わったが、ここで彼らと一緒に今までやってこれて、ここに配属されて本当に良かったと思う。もう少し一緒にやりたい気持ちでいっぱいだ。この配属先がこの先も教員数減の悪環境にもめげず、今のままやる気のあるスタッフで頑張り続けてくれることを切に願う。

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校長の隣で

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同僚から贈り物を沢山もらった

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もう1人の数学教師Rashidと

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中村隊員と同僚のIsaya

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お別れのスピーチ
あまりうまく言えなかったなぁ・・・。

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最後は皆でダンス
最後のカントリーロッジ
 今日はネワラの皆でカントリロッジで夕食をとった。誰かゲストが来たときはよく来たカントリーロッジだったが、ネワラのメンバーだけで来たのはいつ依頼だろう・・・?覚えていないくらい久々だ。ここの料理は本当に美味いので、たまにここに来るのは毎回楽しみだったし俺たち隊員にとって良いリフレッシュになった。そんなカントリーロッジも俺と中村隊員は今日で最後だ。そう考えると寂しいが最後も相変わらず美味かったし、夕食も楽しかった。帰り道は電気の無い中、肌寒さを少し感じながら満点の星を眺めながら皆で歩いて帰った。これも本当に良かった。日本では絶対に見れない星の数だ。

 その後俺は帰り際に永田フィールド調整員の家に夜遅いにも関わらずお邪魔しお茶をご馳走になった。そのときネワラへの隊員派遣の中止が事務所で決まりそうになったとき、永田さんとムトワラの佐藤フィールド調整員が、どれだけここの人々が隊員を必要にしているか必要性を訴えて事務所へ抵抗してくれたみたいでそれでも決定を変えられなくて申し訳なかったと永田さんが謝ってくれた。全然永田さんのせいではないが、それを聞いて俺は本当に嬉しかったし、2人が最後まで抵抗してくれたというだけでもう十分だった。最後にこんな話を聞けて本当に感激したし救われた気がした。

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カントリーロッジの看板

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ずっと赴任したときから美味かったカントリーロッジの食事

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皆で

ジェネレーター
 永田フィールド調整員の家にはジェネレーターがある。少し前までは調子が悪く中々使えなかったのだが、最近は調子が良く問題無く使えるので連日お邪魔して携帯、デジカメの充電を始めラップトップの使用で電気を使わせてもらっている。本当に永田さんの家にジェネレーターがあって無事に動いて助かった。というのは2週間程前から、過去最悪の計画停電をTANESCO(Tanzania Electric Supply Company)が始めたんだ。電気が戻ってくるのは52時間に1回4時間だけだ。この4時間が朝6時から10時までとかだと、まるで4日以上電気が無いように思えたりする。実際戻ってくるはずの貴重な4時間も戻って来ず106時間電気が無かったときもあった。

 普段なら別に構わないんだけれど、引き上げの間近、最終報告書を作成して3日までに事務所に提出しなくてはならなかったし、先月30日に行った期末テストの採点と結果表の作成、成績表の作成なども行わなくてはならなくて、どうしても電気が必要だったんだ。TANESCOがムカつき過ぎる!こんな状況の中、連日0時過ぎまで居座るのに毎日永田さんは電気が必要だったらどうぞと毎日声をかけてくれた。とても有難かったし本当に助かった。そんなわけで特にここ1週間はタンザニアに赴任して以来かつてないほど忙しかったけれど、無事に最終報告書、期末テスト採点と結果表、前期の成績表の作成を先ほど無事に終えることができた。ほっとした。永田さんのおかげだ。永田さんにとても感謝した。明日からは本格的に引き上げに向けて家を片付けるかな。
無線機の移動
 3代に渡って家に設置されていた、無線機を永田フィールド調整員に手伝ってもらいながら今朝取り外し、林隊員の家へ運んだ。そして早速林隊員の家で設置を開始した。設置で一番面倒なのはアンテナを立てるときだ。順調にアンテナの設置も進んでいたところ、気を緩めてしまい最後の1間接を伸ばし切ってしまい、十数メートルもあるだろうアンテナを俺一人では支えきれなく倒してしまった。この倒れる瞬間はやばいのは分かっているけれど周りは見ている以外何もできなかった。永田さんの悲鳴と共に林隊員ごめんと思いながらアンテナは倒れた。皆屋根か家の塀かソーラーパネルか何かが壊れることを覚悟した。でも幸い電線が相当延びたが、それがクッションになり信じられないが無傷で済んだ。助かったら何かそれまでのやばい状況とのギャップが面白くて笑いが止まらなかったよ。ともあれ無線機の設置は無事に済んだ。俺の家の庭はアンテナが無くなりとても広くなった。帰国準備は着々と進んでいるな・・・。

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林隊員の家でアンテナの設置
このとき最後の間接を引っこ抜いてしまいアンテナを倒してしまった。幸い被害は無かった・・・。





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